「起業したら理念が必要だ」と述べる経営者や起業経験者は少なくありません。
確かに事業における理念は企業文化の構築、社会的なPR、共感する人材の採用など様々な面で有効です。
しかし、逆説的に言えば組織(複数人で運営する事業)でない限り、理念は必要ないと言えますし、むしろ理念があることで起業後の事業の足かせにもなりかねません。
本記事では、アントレカレッジの菅野・中村講師が考える起業哲学に基づき、以下の点について解説をします。
- 起業時に理念が不要である理由
- 理念が必要になるタイミング
- 意味のある企業理念の作り方
起業時に理念は不要である理由
これまで「起業したいけど、どんな理念がいいだろう」と悩んでいた人にとっては抵抗感のある考えかもしれません。しかし、再度言いますが、起業時に理念を作る必要はありません。
まずは起業時に理念が不要である理由について解説をします。
理念とは大きな組織をまとめるためのものだから
そもそも企業理念の価値は、企業文化の構築・社会的認知の向上等にあります。つまり、複数人の組織でなければ理念という形で明文化する必要はないわけです。
また、東京商工会議所で行われた興味深い調査結果があります。
上図を見ると、企業(複数人の組織)においても14.3%が理念を持っていないということが分かります。組織ですら10社に1社は起業理念がない中で、特に1人や両手の指で数えられる程の人数で起業する際に理念は必要ないのです。
起業時の理念は変わっていくから
上記の理由だけでは「人数の有無が理念に必要性を決めることはできない」と思われる人もいるでしょう。それも正論です。しかし起業後に分かることですが、起業における理念(ミッション・ビジョン等)は変わる傾向にあります。
大企業においても細かな経営理念の改定を行っている例は稀ではありません。
- 2020年1月16日:グループ企業理念の改定に関するお知らせ – 伊藤忠商事株式会社
- 2020年4月1日:NECグループの共通の価値観・行動の原点「NEC Way」を改定 – NEC
- 2020年5月1日:経営理念(Mission、Vision、Values)改定のこと – 三井物産株式会社
数千人、数万人規模の社員を抱える組織であっても改定を繰り返す企業理念。起業初期の「何が正解か分からない」フェーズに時間をかけて理念を作成する価値は大きくはないでしょう。
事業を行う中で自分が本当に成し遂げたいこと、喜ばせたい客、提供したい価値を見つけ、そのタイミングで理念を制定してこそ、理念は意義のある言葉になるはずです。このため、起業時に理念を制定する必要はないのです。
利益を出すことを優先すべきだから
2020年に伊藤忠商事が経営理念を「三方よし(売り手よし・買い手よし・世間よし)」に変更(注1)した他、当スクールにおいては「四方よし(上記に加え『神様よし』)」の考え方をお伝えしています。
ここで注目すべきは、商売は売り手“も”良しとなる必要があるということです。買い手が満足しなければ事業が続かないことは当然ですが、その一方で最低限、売り手側が事業を継続できるだけの利益を生み出すことは優先すべきです。
「社会をよくしたい」「誰かを喜ばせたい」等の対外的な理念が足かせになり、現実的な事業の利益創出に失敗する事例は少なくありません。顧客満足度を高めるために店舗の人件費が上がり、倒産した企業は2019年度上半期だけで14件(注2)。売上高人件費率は年々高くなり、付加価値の創出・生産性の向上がネックになっている企業は多いのです。
注1:グループ企業理念の改定に関するお知らせ – 伊藤忠商事株式会社
注2:足元の倒産増加、無視できない人件費の伸び
起業後に理念が必要になる条件
ここまでで起業時に理念が不要である理由をまとめました。大企業でもマイナーチェンジを繰り返す経営理念を果たして起業当初から持つ必要はあるのかという点に関して「不要」または「そこまで確立したビジョンを掲げる必要はない」というのが、本記事でお伝えしたい点です。
ただし、経営理念を軽視しているかと言えばそういうわけではありません。意義のある理念があるからこそ、何百何千という数の組織がまとまり、事業活動を最適化しているからです。
では、企業はどの段階から理念が必要になるのでしょうか?本項では、この点について解説をしていきます。
組織にまとまりがなくなった時
起業当初は立ち上げメンバーが事業の成立・利益の創出という1つの目的に向かえていたものの、一定の規模になるとそれぞれの意図がズレ、行動に指針が必要となります。そのタイミングで、事業のあり方や起業当初の思いなどを振り返り、理念の制定をすることをおすすめします。
これはアントレカレッジの菅野・中村講師の経験則でもありますが、組織は10人以上になるとまとまらなくなる性質があります。部署が分かれると統括役が複数人になりますので、少なくとも統括を担う人の指針が揃うように理念を共通認識として持たせる必要があります。
社会起業を行う時
例外として、起業時から理念を作るべき場合があります。それが社会起業です。社会起業とは「社会の課題を、事業により解決する」起業(注1)を指します。
社会起業の目的は利益創出ではなく、社会問題を認識し、その問題を自らの事業活動によって解決することです。このため、起業時に理念(事業の存在意義)を持つことが前提となります。
社会起業の代表例としては、生活困窮者やホームレス状態の人達に対して「雑誌販売」という仕事を創出するビッグイシューや、生産物の値崩れを防ぐフェアトレードに取り組んでいる企業などが挙げられます。
企業理念の作り方と事業への繋げ方 3STEP|10人以上の組織向け
ここまで起業後に理念が必要となるタイミングについて解説をしました。しかし序盤で紹介した東京商工会議所の調査で10社に1社は企業理念を持っていないことからも、理念を重視していない会社も存在することが分かりました。
しかし、理念を作るのであれば、それが事業の軸となり、社会的な認知度の向上や人々への共感にもつながる意義のある言葉にしたいものです。
そこで、本項ではマーケティングコンサルタントのサイモン・シネック氏が提唱する有名な「ゴールデンサークル理論」に基づき、Appleも実践する理念の作り方と、理念を実際の商品・サービスに繋げる方法について解説をします。
ゴールデンサークル理論の概要
ゴールデンサークル理論とは、強い影響力を及ぼす企業やリーダーが、その影響力をどのように表現(発揮)しているのかについて3つのサークルを用いて解説したものです。
- WHY:事業の存在意義。「なぜやるのか」という理論から全てが始まり、そこを中心にどうやって(手段)・何を(WHAT)を検討していく。
- HOW:WHYを実現する手段。存在意義を叶えるために行う独自の方法や工夫を規定する。
- WHAT:WHY・HOWにより生まれた商品やサービス。
例えばAppleの場合、「現状に挑戦する(WHY)」ために「製品のデザインを洗練させ(HOW)」、「その結果、素晴らしいMacbook(WHAT)が生まれた」という順序で事業を成功させています。
企業理念がWHYに当たる部分であり、製造・提供の工程までがHOW、商品・サービスをWHATです。10人以上の組織ができる工程ですでに実際の商品・サービスが存在しているはずなので、WHYを規定した上でゴールデンサークル理論を使えば、既存の販売物がブラッシュアップされることすらあるでしょう。
以下でゴールデンサークル理論を利用して企業理念を検討し、さらに既存の事業へ結びつける流れを解説します。
WHY(事業の存在意義)
これまで利益の創出を追求してきた組織であったとしても、一定の規模を越えた段階で、事業の存在意義を規定していく必要があります。
現代経営学の発明者とも呼ばれた(注1)ピーター・ドラッカーが「利益は事業活動の結果であり、目的ではない」と述べたように、存在意義として実現すべき未来があることが大切です。
理念(WHY)とWHAT(商品・サービス)に矛盾が生じると理念が単なる標語になり、意義はありません。そのような会社も実際少なくはないでしょう。
10人程度の組織であれば全員が納得する理念を作ることはできます。数日と言わず、数週間、数ヶ月という時間を使ってWHYを考えていきましょう。
注1:ピーター・ドラッカー – Wikipedia
注2:企業理念の浸透度は3割 – 浸透していない会社の23.4%が赤字 – マイナビニュース
HOW(存在意義の実現方法)
次にWHYを実現するための手段を考えていきます。Appleであれば「現状(のデザイン)に挑戦する」ために「製品のデザインを洗練」させるという手段を用いました。理想を現実化するために必要な手段を考えていく工程です。
また商品・サービスのデザインだけではなく、組織の運営方法やマーケティングのあり方、WebサイトやSNS、名刺、営業手法など全ての要素に対するHOWを検討していきましょう。そうすることで組織の価値観が揃っていきます。
WHAT(具体的な商品・サービス)
HOWの結果生み出された商品・サービスがWHATです。消費者は商品の背景に広がるドラマを好みます。WHY・HOWのない商品は商品過多の現代において選ばれることはありません。
スターバックスが高額な価格帯でありながらも人気なのは「サードプレイス(自宅でも職場でもない、自分らしさを取り戻せる第三の居場所)」というWHYに共感が生まれたからです。
無印良品の商品が人気であり続けるのは「生活の基本となる本当に必要なモノを飾ることなく、必要の本質を商品にする」(注1)というコンセプトが、WHAY(商品)に浸透しているからです。
WHATから始まった起業時とはうってかわり、10人規模の組織となるとWHYを重要視していく必要があります。
注1:無印良品のデザインは、質と美しさを持った普通を探り当てる作業 – 株式会社良品計画
企業理念のメリット
ここまで企業理念の作り方や既存事業への繋げ方を紹介しました。起業段階では不要の理念ですが、組織として体を為す段階では事業活動を支える価値ある存在になります。ここでは、改めて理念のメリットについて3点を解説します。
企業文化の構築
企業理念があることで企業文化(インナーブランド)が構築され、従業員の価値観の統一、複数の部署の方向性の一致、事業方針の一致など、様々なメリットがもたらされます。
10人以上の組織となると、全員が同じ場所に集い、事業の意思決定を行うような場面はなくなり、部署ごとで意思決定がなされることになります。その際、1つの価値観(コモン・バリュー)で決定がなされるため、組織のまとまりも生まれるわけです。
自社ブランドの構築
企業文化が育まれて事業の方向性に統一感が出れば、対外的なブランディングにも功を奏します。
例えば、2021年8月時点で店舗数1,068店、アイテム数7,500点、管理職の数だけでも約660人(注1)の良品計画(無印良品の事業経営)がどの店舗でも統一感を持って運営されているのは、企業文化が育まれているからです。
「あの企業といえば、こんな雰囲気」というイメージこそがブランドの価値であり、理念があるからこそ生まれるものなのです。
適した人材の雇用
さらに、企業理念に共感した人材の雇用にもつながります。「〇〇(店名)を昔からよく使っていて好きだから自分も働きたい」というシチュエーションは、企業理念が確立しているからこそ起こりうる雇用機会なのです。
採用側・就職側の価値観がズレていると、離職率の上昇にも繋がります。離職率が高い組織は経験値の高い社員を雇用し続けることができず、成長が止まります。社員が成長しなければ、相対的に他の成長企業との競争に勝つことができず、経営不振ないしは倒産に到るでしょう。
理念を制定して事業に浸透させることは、採用にも良い影響を与え、結果として利益創出にもつながるのです。
優れた企業理念の例
最後に優れた企業理念の例を紹介します。これらの理念を真似することに一切意味はありませんが、どのような思考で理念が規定され、商品・サービスに浸透しているのかを考えることには価値があります。
AT&T「Creating Connection(繋がりを作る)」
世界最大の通信会社AT&Tは「Creating Connection(繋がりを作る)」という理念を制定しました。この会社は携帯電話やインターネット通信事業、エンターテインメント事業など幅広く展開していますが、それらを「繋がり」というコンセプトにまとめたのです。
IT企業の多くは、提供するサービスの「実用的」な面を売り出しがちです。しかし、実用面だけなら他のサービスでも代替は可能です。
AT&Tはサービスの生み出す「人と人とのつながり」に着目し、それを経営理念としました。
FedEx「People-Service-Profit」
国内では認知度が低いですが、世界大手の物流事業を手掛けるFedExでは「People-Service-Profit」という企業理念が採用されています。
Peopleとは「従業員」、Serviceとは「サービス品質」、Profitは「利益」を指し、言い換えると「従業員が働きやすい環境を作ることでサービス品質を向上し、顧客が満足することで利益が生まれる」ということになります。
実際、2019年2月にFedexはFortune誌にて「100 Best Companies to Work For(最も働きやすい会社ベスト100)(注1)」に選ばれており、こちらの調査は全米の430万人以上の従業員を対象としたアンケートのフィードバックに基づいている点からも信憑性が高いといえます。
利益を最優先するのではなく、従業員を大切にして顧客満足度が高まり、LTV(顧客生涯価値)を最大化することで利益を高めているのがFedExという会社の魅力なのです。
注1:FedEx Recognized as One of Fortune Magazine’s 100 Best Companies to Work For in 2019 – FedEx
Visa「Visaとは、ネットワーク。あなたも世界も動かす。」
最後はクレジットカードのVisa。こちらは経営理念ではなく、2020年にCMで使われたキャッチコピーですが、決済機能というサービスに1つの価値を吹き込んだ素晴らしいコンセプトでした。
Visaは「世界中を決済でつなぐ」ことをコンセプトに、様々な手法の決済サービスを提供しています。文字通り、世界中の誰でも使えることがVisaの目指すところであり、実際のサービスにもその姿勢が伺えます。
クレジットカード会社で有名なMasterCardは過去に「お金で買えない価値がある。買えるものはマスターカードで。」というキャッチコピーで一世を風靡しましたが、このように企業CMからは学ばせられる理念・コンセプトが少なくありません。
起業に理念は不要だが、組織に理念は必要
本記事の主張としては「起業に理念は不要だが、組織に理念は必要」ということになります。
駆け出し起業家は道徳に反しない限りは利益を追求し、まずは事業を成立させること。その後、組織が一定規模に達した時点で企業理念を確立し、既存の事業に紐づけることが大切です。